OFFICE-ONE Shijo Karasuma

取引日の前日まで、私は契約書のチェックや司法書士の手配、D銀行との抵当権抹消の手続き、所有権移転登記の為の必要書類の徴求やらで慌しかった。 前日には安藤から電話があり、取引当日の午前9時に東京のある銀行でその融資が行われ、その場で手数料が入るので午前10時にはマンションの決済金の25億円がD銀行の決済口座へ振り込まれるという。 若干の時間のずれはあるかもしれないのでそれは了解してほしい旨の連絡があった。 そして、取引の当日4月27日がやってきた。 当日は午前9時に売主は大西部長、A課長、専務取締役K氏。D銀行からは担当課長、司法書士、そして、安藤の全員が私の会社へ集まった。 私は前日に応接室に電話を移動し体制をとっていた。応接室には6人しか入れないため買主側は安藤、売主は大西部長とK専務、D銀行は担当課長、そして司法書士の先生と私が入った。 安藤の座っているソファーの前には電話が置いてあり、田上からの連絡はそこにかかることになっていた。 融資が完了すると安藤に電話があり、その場から決済金をD銀行に振り込んだ旨の連絡があることになっていた。 私は全員が集まると、一同に確認のため言った。 「皆さん、お忙しいところ大変ご苦労様です。午前10時には決済金額がD銀行の口座に振り込まれます。安藤さん、それで間違いありませんね?」 「はい、間違いありません」 安藤は自信を持って答えた。 「それでは、それまで買主さんへ重要事項の説明を私が行います。その後、決済金が振り込まれたのを確認しましたら、契約書、所有権移転に必要な書類等へのご捺印をお願いします」 私は安藤に対し重要事項の説明を行った。説明は三十分で完了した。買主の名義人は三和産業株式会社だった。説明を受けた安藤は会社の実印を押印した。 そして、所有権移転の書類にもすべ押印した。売主側は入金が確認できた時点で押印するということになっていたのでその場では押さなかった。 作業は午前9時45分に一応は終了した。あとは田上からの電話を待つのみになった。 その15分は非常に長く感じた。 応接室では全員が無言のまま電話がかかってくるのを待った。 そして、午前10時になった。 しかし、電話はかかってこなかった。 5分経過した後に私は言った。 「安藤さん、電話遅いですね」 「まあ、もう少しお待ちください。少々の時間のずれはあるかもしれないと、田上は言っていましたので……」 「わかりました」 そして、時間は過ぎていき、10時15分を回った。部屋は重苦しい雰囲気に包まれた。 私はたまりかねて言った。 「安藤さん15分も過ぎてしまいました。安藤さんの方から電話をしてもらえませんか?」 「私のほうからは電話は出来ないのです。田上のいる場所には直接、電話は通じないのです」 「えっ……では、田上会長から電話が来るのを待つしかないのですか?」 「ええ、そうなのです」 「そんな、馬鹿な……」 と私が言いかけた時、目の前の電話が鳴った。 私はとっさに電話を取った。 「はい、真栄城コーポレーションですが」 「もし、もし、あ~……田上ですが、そこに私どもの安藤がいると思いますが、ちょっと電話を変わってもらえますか?」 「安藤さん、田上会長です!」 私はすぐに安藤に電話を代わった。 皆の目が安藤に釘付けになった。 安藤はやっと来たかという顔つきの笑顔で私からの電話を受け取った。 「はい、代わりました安藤です」 安藤は電話の向こうの田上と会話を始めた。 「はい、はい、右翼の連中?……はい、はい、それでいつですか?」 (右翼?) 10分ほど会話をしていた安藤は電話を置いて言った。 「皆さん大変申し訳ありませんが。今日の取引は中止になりました。この取引を延期してもらえませんか?」 私は思わず言った。 「どういうことですか。今になって突然」 安藤は動揺も見せずに落ち着いた口調で言った。 「実は、今、2兆円の現金をトラック2台で運ぶ際に、銀行の前で右翼団体の街宣車十台に待ち伏せされてしまいました。それで現金が運び込めないそうです。いったん現金はその場を離れました。現金を積んだトラックは幸いに右翼団体には見つからなかったそうですが、今日はとても融資できる状況にないそうです。誰かが今日の融資実行を漏らしたようで、それが右翼団体の耳に入ったようです」 「右翼団体?」 「ええ、そのようです。田上会長もすぐ近くから電話をしているようで、街宣車のスピーカーの音がうるさくて会長の声がよく聞き取れないくらいでした」 「…………」 私達はどう言っていいのか言葉が見つからなかった。 安藤は続けて言った。 「どうでしょうか。一ヶ月延期してもらえないでしょうか?」 私は大西部長とK専務の顔をみた。二人もどうしていいか判断に苦しみながら呟くように言った。 「う~ん、困りましたね。ここまできて突然中止だなんて」 安藤はこともなげに言った。 「まあ、今回はいたしかたないことです。今日、融資を強行してしまうと、このことが事件になってしまい大変なことになってしまいます。我々の命にかかわることですので今回だけはご理解いただけませんか?」 大西部長は突然立ち上がると言った。 「ちょっと真栄城さん、会社に電話をしたいので事務所のお電話をお借りできますか?」 応接室を出て事務所に入ると大西部長は言った。 「真栄城さん、真栄城さんが最初に電話に出たとき、街宣車のスピーカーの音は聞こえていましたか?」 「いえ、私は気がつきませんでした。田上会長の声とすぐわかったので、少なくともその時はスピーカーの声は聞こえなかったように思います。でも、すぐに代わったので断言はできません」 「しかし、困ったなあ。どうしたものかな」 「社長にご判断いただいたらいかがでしょうか?」 「今更、そんなこと言えないぞ。困ったなあ……」 「でも、何らかのご判断を仰がなければこの場は収集つかないですよ。なんでしたら、私から社長には説明しましょうか?」 「いや、私から説明します。しかし、困ったなあ」  大西部長は考え込みながら電話機に手を掛けた。しかし、考え込みながらすぐにはダイヤルを押さなかった。 五分ほどして意を決したようにダイヤルボタンを押した。電話は社長直通の電話らしくすぐに社長が出た様子であった。 安藤の言ったことを説明して、しばらく黙って頷いていた。 電話の最中、応接室にいたD銀行の担当者、K専務もいつのまにか私たちの傍に来ていた。十分ほどして電話が終わり大西部長は言った。 「もう一ヶ月待とうということになった」 「待つのですか?」 「ええ、待ってみようと言った」 「…………」 応接室に戻ると大西部長は安藤に向って言った。 「安藤さん、今当社の社長と連絡をとりましたらもう一ヶ月だけお待ちするとのことです。来月は間違いなくできますね?」 「申し訳ありません。これから私はすぐに東京へ行ってきます。会長から詳しい事情を聞いて皆さんへ報告をいたしますのでお待ち願えますか。来月のことについては、会長に会って私も確認してから報告をしますので……」 安藤は厳しい顔で言うと、その場から逃げるようにして出て行った。 安藤が出て行くと、皆一応に押し黙ったままで宙を見ていた。 部屋には気まずい空気が流れ出した。誰も声を発するものがいない。 司法書士は気まずそうに立ち上がり言った。 「すみません、私はこれで失礼します。また来月に連絡をお待ちしています」 そう言うと部屋を出て行った。 D銀行の担当者も無言のまま席を立ち出て行った。 部屋には大西部長、A課長、K専務、そして私の四人だけが残った。 「やっぱり、この話は嘘だったのでしょうか?」 私は呟くように誰に言うともなく言った。 「わからん」 大西部長も呟くように言った。 「しかし、あの融資話が嘘であれば、彼らは何のためにしているのだろう?」 K専務が言った。 「…………」 誰も答えるものがいなかった。  それにしても、いったいあの二人は何者だろう。何のためにこんなことをしているのだろう。  そして、それから五日後に私は衝撃的な出来事に遭遇することになる。  その27日の事件から5日後の5月2日、日曜日の早朝の出来事だった。  その日、私は会社を休んでいた。  私の会社の仕事は連休にはモデルルームをオープンして営業をするが私は今回の件で精魂を使い果たして疲れ果てて休んでいた。 「お父さん、お父さん、起きて!」 妻の呼ぶ声で目を覚ました私は時計を見た。まだ、午前7時半だった。 「なんや、うるさいなあ。こんな早くから」 私は不機嫌な声を出しながら妻に向って言った。 「それどころではないわよ!」 妻はそう言うと片手に持っていた新聞を私の目の前に差し出した。 新聞を見た私は眠気が一瞬に吹っ飛び、ベッドから飛び上がらんばかりに起き上がった。 新聞を一通り読み終えると、私は寝室から出て電話の置いてあるリビングルームへ移動してH科学工業の大西部長に電話を掛けた。 電話口には大西部長が出た。 「部長、朝早くから失礼します。今日の朝刊を見ましたか?」 「朝刊?いや、まだ見ていないが」 「今すぐ見てください」 「わかった、ちょっと待って下さい。(お~い、新聞をもってこい!)」 「お待たせしました。ところで何が載っているのですか?」 「社会面を見て下さい」 「社会面?」 「載ってますでしょう?」 「??何が載っているのかね?」 「あっ、部長の新聞は朝日新聞ですか?」 「いや、毎日新聞やけど」 「あっ、すみません、朝日新聞をどこからか探してきて下さい」 「わかった、近所に行って朝日を借りてくる」 と言うと大西部長は電話を一旦切った。 5分ほどして大西部長から今度は私の家へ電話がかかってきて言った。 「こいつらだな。間違いないな」 朝日新聞の社会面には以下のような記事が一面に載っていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1993年5月2日(日曜日) 朝日新聞 (社会面)(原文のまま全て掲載) 『10兆円融資! 甘い話 社長苦い体験! 警察庁 警告!』『無担保 年利1.5%償還20年』 「調査会・財団名乗る」 「十兆円を無担保でお貸しします」 「政府から出た信用できるお金です」 こんな常識を超えた巨額の融資話が、昨年から今年にかけて横行している。実体不明の調査会や財団を名乗るブローカーが企業の社長らに話を持ち込んでは紹介料などを要求する。 この資金をあてにして社屋建設用地の買収に走った東証一部上場企業の社長が融資期限が来ても資金が調達されずに慌てたケースもある。 警察庁は「そんなうまい話はありえない」と不況で資金繰りに困っても話に乗らないようにと呼びかけている。 東京に本社がある化学会社の社長の場合、昨年秋頃、知人から10兆円の融資話を持ち込まれた。この会社は従業員約7000人、年間売上は5000億円を超す。 自称「日本国政財官調査会」の調査員が「最高10兆円という資金が眠っている。無担保で融資が受けられる」などと社長に説明した。 この調査会社あての昨年11月25日付けの「念書」には同社長の者とされる署名と押印がある。念書に書かれた融資条件は年利1.5%で償還期間20年。融資実行の期限は昨年12月7日。 融資に成功した場合、①1000億円を調査会社に預ける②社内に事務所を置き、調査会の会長ら三人を社長特命顧問として受け入れる③専用車、専用住宅、交際費用クレジットカードを支給する…などが盛り込まれていた。 三人のうち一人は融資前から「社長秘書特命担当」の名刺をつくり持ち歩いた。 社長はこの金をあてに自社ビル用地として港区の一等地約3400㎡を、総額約800億円で買収することを計画、不動産業者らに今年1月「取り纏め買い付け依頼書」を出した。ところが、期限を過ぎても10兆円は入らず、困った社長は3月に入って「土地買い付け依頼の前提に大きな錯誤があったので、依頼文書は無効」と業者らに通知したという。 調査会の会長は不動産会社の社長だが、同業者によると「暴力団に追われている」と行方不明となっている。 社長が受けた10兆円の融資話について、会社側は「社としては一切関知していない」としている。調査会の会長らと知り合いという埼玉県内に住む男性も、同じ頃、やはり10兆円の「融資条件」を持って企業に勧誘に回った。 「オリンピックに出られなかった運動選手を、出場できるよう養成する財団が、政府資金の融資を仲介する」といい、やはり無担保。融資先を会社と銀行の頭取の2つのケースに分け、償還は20年。 紹介料は100億円から500億円と法外な金額だ。10兆円の融資は一部上場会社に限り、それ以外の企業も100億円から200億円の幅で融資できるという。 一部上場企業以外に対しては資金を2週間以内に用意するが、事前に「企業の力を見るため」と5000万円を財団に預けるよう求めている。 「勘でありうることと」 持ちかけられた社長と一問一答 ― 融資話のきっかけは何ですか ― 「友人から話があった。非常に立派な方で『間違いない』と言って話を持って来たから乗った」 ― この融資話を疑わなかったのですか ― 「普通の人は疑うでしょうね。非常識な話だから。でも勘で『ありうることだな』ということはわかる」 ― 融資話を受け入れたのは会社としてか、社長個人の判断ですか ― 「個人。この資金は個人にしか出さない。会社には出ない」 ― この融資の資金を管理する事務所が社内にあったようですが ― 「その方が便利だからと。一時期あったけれど、もう完全になくなった。一ヶ月だけ」 ― 10兆円で土地購入を予定していたのですか ― 「入ればね。これが一種の前提条件だったから、これが崩れたのでだめになった」 ― この融資を受けるのにあたって、社内の役員に相談しなかったのですか ― 「最初の時点では、そんなのはなかった。『やっぱりおかしい』となって、一部の特定の専務以上と話し合って『これはやっぱりやめよう』ということになってやめた」 ― いま振り返ってみて、この融資話をどう思いますか ― 「ブローカーらは一体何のために動いていたのかな、って感じだ。被害はなにもない」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 新聞を読み終えた私は言った。 「これは、彼らですね」 「ああ!間違いないでしょう。大筋は一緒のようだが、細部で若干違うようですね。田上氏の話では2兆円だったのが新聞では10兆円になっていますね」 「そうですね。それと、この化学会社の社長というのは田上氏から聞いていた大日本インキ化学工業の社長でしょうか?」 「資本金といい、従業員の規模といい、まず間違いないと思います。以前に会社四季報で調べた時の数字とほぼ一緒です」 「私、これから安藤さんへ電話を入れてみます。しかし、もう連絡つかないかも知れませんね」 「そうですね。この新聞での出来事が彼らであれば、もう、連絡は取れないかもしれないですね」 「一度、電話をしてみます。また、連絡します。朝早くから失礼しました」 「いえいえ、私も社長に電話を入れてみます」 私は肩の力がどっと抜けてその場に座り込みそうになった。 やはり、彼らは詐欺師だったのか。当然、もう電話をしても無意味かもしれない。 私はそう思いつつも念の為にと思い、安藤の自宅の番号を押した。 呼び出し音が鳴った、5回、6回、7回と呼び続けている。 (やはり、出ない) 8回、9回、10回目で切ろうと思って受話器を置きかけたら、受話器を取る音がした。 (なに?) 私は思わず受話器を再度耳に戻した。 「もしもし……」 安藤が電話に出た。 「もしもし、安藤さんですか?」 「はい、そうですが、ああ真栄城さんですか」 安藤は意外にも私の電話を予期していたかのように静かな口調で言った。 私は詰問調で言った。 「そうです、真栄城です。朝早くから申し訳ありませんが……」 「ああ、今朝の新聞のことで電話されましたのでしょう?」 「安藤さん、あれはどういうことですか?ご説明をいただけますか?」 「まあ、真栄城さん、そうカッカとしなさんな。あの新聞の報道は事実とは違いますよ」 「事実と違う?どう違うのですか?あれは田上さんと安藤さんのことですよね?」 「それは、ちょっと違います」 「ちょっと違う?どういう意味ですか?」 安藤は私の尋問調の口調に動ぜず静かに言った。 「あの報道は3月末日のことです。私は確か真栄城さんにも説明したかと思うのですが。3月末予定の融資を中止にしたことは申し上げましたよね。実はこの報道のことは、私どものことではありません。あの渡辺不動産の渡辺らの仕業です。彼らが独断で先行して大日本インキ化学工業の社長に話を持っていったのです。田上会長はそれに怒り、3月末の融資実行は中止になったのです。今、あの渡辺を探し回っている最中です。先日の融資も直前に中止したのは、あの渡辺が腹いせに右翼団体に密告して融資の実行を邪魔したのです。先日、私はあれから東京に飛び、詳しい事情を聞いてきました。今回はそんなことで大日本インキさんへは融資が無理になりました。しかし、今月は日活と津村の方への融資は可能です。今回は私も田村の中上専務にはお会いしました。立派な方でしたよ。真栄城さんにも今度ご紹介しますよ。東活の根元さんには今回はお会いできませんでしたが……。今月の融資は大丈夫ですよ。あの渡辺は近いうちに警察に逮捕されるとおもいます」 「………」  私は返答に窮した。遠藤の言っていることは今までの話と矛盾はない。確かに3月にそんな話があった。彼は嘘を言っていない。しかし、どうも、釈然としない。 「安藤さん。私は田上さんのことはよく知らないので、あの人を未だに信じきれない部分がありますが、安藤さんのことは信じていました。しかし、このような新聞記事がでますと、とても信じ切れません」 「先日は真栄城さんには大変ご迷惑をお掛けしたのは重々に承知しています。今月はそんなことが無いように慎重に行動しますので、よろしくお願いします」 安藤は心から詫びているように感じた。 少なくても私にはそのように感じた。 私はどう答えていいのか判らずしばらく黙って電話を置いた。  私は電話を切るとある人物に電話をいれた。田上の身元調査を依頼するために。  その人物とは京都府警を定年退職し、京都中央卸売場の会社の顧問をしている元京都府警本部幹部のM氏で府警在任中、様々な事件を解決した刑事上がりの人物だった。  その方とは10年来のお付き合いがあり、私を非常に可愛がってくれ、私が父親みたいに慕っている人物であった。私は仕事柄、土地取引で暴力団関係が絡んでくることがあり、その時にいつも相談にのってもらっていた。 電話を入れると、幸いに在宅だった。  私は早朝の電話の非礼を詫び、今までの経過を詳細に説明し、田上洋己と遠藤仰の二人の人物の「犯罪歴」を調べていただくようお願いした。M氏は快く承諾してくれた。返事は連休明けの6日頃になると言った。 しかし、M氏からは2日後の4日の午後8時に電話があった。 「真栄城君、判ったよ」 「ありがとうございます。お手数をおかけしてすみません」 「安藤和夫という男は特に犯罪歴はないね」 私は安藤が前科のないのを聞いて安堵する。 「そうですか。では、田上はいかがでした?」 「彼は前科二犯やな」 「前科二犯?」 「そうや、犯歴は……」 「犯歴は?」 「恐喝未遂と産業廃棄物不法投棄やね。5年前に出所している。2年間実刑をくらっとる」 「…………」 私は目の前が真っ白になった。しかし、気を取り直し言った。 「その田上は暴力団との繋がりはあるのでしょうか?」 「それも、調べていたのだが、特に暴力団とは繋がりはないようだな。ただ……」 「ただ?」 「ちょっと、気になることがわかった」 「気になること?」 「ああ、どうも田上は政治家と繋がりがあるようだ」 「政治家ですか?」 「そうや、政治家の名前はちょっと言えないけど、どうも元政治家の秘書をやっていた形跡がある。秘書といっても公設ではなく私設秘書やな」 「ほんとですか?」 「どうも、田上は秘書時代のルートを使って、今回の事件を起こしている形跡がある。新聞記事のことも調べてみたけど、東京では昨年から『M資金』のことは警視庁でも話題になっているらしい。しかし、被害届けが出ていないので詐欺事件としては立件できないらしい。彼らが主犯かどうかはわからないが…」 「…………」 「真栄城君、彼らとの関わりは止めた方がいいな。まともな人間ではないのは確かや」 「わかりました。お忙しいところ、ほんとにありがとうございます」 「真栄城君、世の中にそんな甘い話なんてないで。商売なんてもんは突然儲かるものではない。コツコツと築き上げて初めて儲かるものや。特に商売では信用が第一や、信用を失ったら終わりや。付き合う人間をよく見定めておくことや」 「わかりました。肝に銘じます」 「そうか、また何か困ったことがあったら、いつでも言ってこい。たまには家にも遊びに来いよ。家内も真栄城君のことを懐かしがっていて、元気にしているかなと言っていたよ」 「ありがとうございます。近いうちにお伺います。ほんとうにありがとうございました」 私はM氏の暖かい言葉に感謝し礼を言って電話切った。  連休が明けた6日の午前10時。私は大阪のH化学工業の社長室にいた。 H化学工業社長、大西部長、K専務の四人で今月末の取引を継続するかの打ち合わせだった。 私はその席上で新聞記事が出たその日に安藤の自宅へ電話をしたこと。そして、安藤が釈明した内容。 そして、自分のルートで田上の犯罪歴が判ったこと。その田上が政治家の元私設秘書であったこと等、詳細に説明をして、この取引は中止すべきであることを進言した。  しかし、H科学工業社長は意外なことを言った。社長は田上に前科があること、ある政治家の元秘書であったことを知っていたという。知った上でこの取引を容認したという。 そして、この取引は今月の末までもう一度待ってみようと言った。  私は信じられない気持ちだった。ここまで、田上の素性を知っていながら尚、取引を続行するという。 私はその行動に疑問を感じた。社長はこの取引というより何兆円という融資自体に興味があるように思えた。 私はその時、どうして社長がここまでその融資話に執着するのか理解できなかったが、後にその理由は判明する…。  それから、その月の末になり決済を待ったが結局、決済は実行できなかった。 今回の延期の理由は、決済当日に田上会長が心臓発作で倒れたとの理由であった。その理由を私は予測していた。  当日、安藤は前回と同じように私の事務所で決済を待っていたが、例の如く寸前で田上会長が心臓発作で倒れ融資の実行ができなかった旨の電話が入った。 安藤はしばらく呆然として、立ちすくんでいたが、私を見てすがり付くように言った。 「真栄城さん、もう一月待ってくれ。融資は必ず実行される。それまで待ってくれ。資本金50億円の会社ができるんや」 安藤は哀願するように目を潤ませながら私に訴えた。 しかし、私は安藤に冷たく言い放った。 「安藤さん……もうええ加減にして下さい」 安藤は虚ろな表情でソファーから立ち上がると、そのままフラフラと部屋を出て行った。私はその後を追って会社のビルの玄関まで彼を見送った。  それから、一週間後、私は大阪の梅田にある「紀伊国屋」という書店に何気なく入った。書店の雑誌コーナーの前を通るとある経済雑誌の表紙の文字が目に入った。 「経営悪化説が噂されている名門「東活」の落陽!」 私は「あれっ」と思い、その雑誌を手にとり、ページをめくってみた。 「日本映画界の名門「東活」に対して経営悪化説が流れている。幹部が街金融を資金調達のために駆け回り、会社更生法が申請されるといった話がまことしやかに流れている。会社側はこうした説を一切否定しているが業績の悪化は目を覆いたくなるような状況だ。はたして東活は大丈夫なのか。東活の根元会長がある外国企業に関係する個人に対して3億円余りの借入金を個人的に肩代わりしている。根本会長自身が金策に走り回っている……」 そして、もうひとつの見出しが目に入った。 「漢方薬最大手メーカー「タムラ」に囁かれる急成長の「ウラ側」!昨年、北関東のある病院に対して厚生省が禁じた「値引き補償」を持ちかけていた漢方薬最大手タムラがこのほど不祥事の責任をとって担当役員を降格する処分を発表した。これはいわばトカゲのシッポ切りに等しい処分で……タムラの急成長を実務面で支えてきたといわれている中上文夫専務が去る2月15日昨年相次いで発覚したタムラの不祥事の責任を取って降格される事態を招いている」  私はその雑誌を買い、京都へ戻り大阪のH化学工業の大西部長へその記事の載ったページを複写してFAXを送った。そして、H科学工業の大西部長から早速電話があり、今度は大西部長からFAXがあった。 朝日新聞系列の「アエラ」という週刊誌の記事だった。 記事の内容は名古屋の電鉄会社に「2兆円」の融資話が持ち込まれた話だった。そこで持ち込んできた人物像があの「安藤」の風貌にそっくりだった。  結局、これらの記事により田上と安藤が東活の根元会長、タムラの中上専務と接触があったことが確定的になり、更に彼らは今度は名古屋に出現し再び同じことを繰り返したことになる。  後日談だが、東活はその翌年「会社更生法」を申請し事実上倒産してしまい、大日本インキ化学工業の社長はこの事件をきっかけに引責辞任をすることになる。 そして、タムラの中上専務も会社を退社することになる。  そして、H化学工業も会社更生法を申請して事実上倒産する。  この事件によって三人の大会社の役員と、直接関わらなかったもののH化学工業の社長も共に人生を狂わせてしまっている。  しかし、今でも不思議なのが彼らの行為が事件にならなかったことである。  厳密にいうと今回の行為は「詐欺行為」なるはずだが、詐欺という犯罪行為は申告罪で被害にあったものが訴えないと立件できないらしい。 彼らは大会社の役員という立場上「騙された」とことが公になるのを恐れ、警察に被害届けを出せなかったのか。  そして、この架空の融資話の出所はいったい誰なのか。田上自身なのか。 それとも、田上の他にその話を創り上げた「主役」がいるのだろうか。そして、その人物の話に田上らが飛びつき、田上の秘書時代のルートを通じて上場会社の社長に接触したのか。 そして、田上はその話を信じていたのか。  それとも、田上自身が主役で最初から騙す目的で融資実行までに何らかの詐欺を行おうとしたのか。新会社設立で資本金を出させ、その資本金を詐取しようとしたのか。今でもそのなぞは解けないままでいる。  それにしても、2兆円という現金はいったいどれくらいの束になるのか。 あの「三億円強奪事件」の時に三億円はジュラルミンケース三箱に収まっていたという。すると一箱に一億円。  2兆円だとジュラルミンのケースの何箱になるのか。単純に計算してみたらほぼ2万箱になる。 田上が2台のトラックに2兆円を積んだとのことだが、1台に1箱。 10トン車のトラックで1台に1万箱が詰めるだろうか?簡単に計算したら、1台にせいぜい700~1000箱くらいしか積めない。1台に1000箱積めたとしたらトラック20台になる。 20台の10トントラックが列を成して走ったら……。とても、こっそり運べるものではない。やはり、あの右翼団体の話は嘘だったことになる。  その後、事件となった「ロイヤルマンション京都御所南」というマンションは、あれから毎年1戸ずつ売れ、販売開始から10年後に最後の1戸が売れ完売となった。足掛け10年という歳月をかけ完売した。  結局、最終販売価格は最初の売り出し価格(4億5000万円)から約83%の値引きの7500万円だった。あの田上が言った「価格が10の1に下落する」まではいかなかったが、結局7分の1になった。    私はあの時、新会社設立時の時に、もし資金的な余裕があったならば1000万円は出資していたような気がする。 もし、出していたらと思うとぞっとする。あの女シャーロックホームズこと「白石探偵」からの適切な助言がなければ…。 小説 実録M資金詐欺 嗚呼2000兆円・・・終わり
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atarasii